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天童のニュース(平成27年4月22日) (最終更新:2015年4月29日)

2015年4月22日(水) 

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天童・ことしで60回目 人間将棋 あれこれ放談!!

各界関係者4人 ルーツ 秀吉の故事に由来、人間チェス説も

 天童市の舞鶴山で繰り広げられる「人間将棋」はことしで60回目を迎える。天童に春を告げる風物詩として全国的に有名になったイベントがいかに誕生したのか―。各界の関係者4人が市内で放談を行った。由来については「豊臣秀吉に基づく故事」「ベルサイユ宮殿での人間チェス」などと諸説飛び出したほか、織田信長を絡めたPRなど、今後の発展に向けた提言もあった。

 出席者は市芸術文化協会の辻輝彦さん(75)、元市職員の大和源次郎さん(92)、天童郷土研究会長の湯村章男さん(80)、元山形新聞天童支局長の安達広吉さん(87)。

 人間将棋は当初、「将棋野試合」と呼ばれた。辻さんの父で初代の市観光協会長を務めた勇蔵さんが、天童温泉に舞鶴荘を起こした沢渡吉兵衛さんからヒントを得て、1956(昭和31)年に始めた。

 由来については、太閤秀吉がおいの関白秀次を相手に伏見城で小姓と腰元を駒に見立てて将棋を楽しんだという故事が現在定着している。この説について、辻さんは「父の話では、ヨーロッパの人間チェスから考案したようだ」と指摘する。勇蔵さんと親交のあった映画監督木下恵介さんが80年に天童を訪れた際、「ルイ14世がベルサイユ宮殿のベランダに盤を作り、人間チェスを楽しんだ。人間将棋の起源もここにある」と語ったという。辻さんは「欧州にルーツを求めるのもロマンがあって面白い」と話す。

 湯村さんは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と将棋の関係をひもとく。「長野県で発見された信長の将棋観を示した文書を調べて考察した」とし、「信長は将棋を頭上作戦に生かし、秀吉は人間将棋を楽しみ、皇室や公家に近づく道具にも活用。家康は武将の荒々しさを鎮める精神修養のため奨励した」と説明。「天童織田藩の流れがあり、信長を人間将棋に絡めてはどうか」と提言する。

 人間将棋は天童桜まつりの一つのイベントで牧歌的だった。大和さんは「たらばす(米俵のふた)に座り、頭に駒を乗せた温泉芸者が駒役で登場した」と振り返る。芸者の顔売りも兼ねていたが、「日焼けが嫌」との訴えで、小学生も参加した。「駒役の子どもたちは友達の所に駆け寄ったり、相手と組み合ったり。勝手に動くので会場は笑いに包まれた」という。

 その後、子どもが駒役として“働く”ことが児童福祉法に抵触すると労働局から指摘を受けたという。

(山形新聞2015年4月22日 第15面より)
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■天童のニュース:サクラ・ツツジ・花
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